仙台高等裁判所 昭和54年(ネ)372号 判決 1982年1月27日
控訴人(原告)
相原徳之助
ほか一名
被控訴人(被告)
近鉄大一トラツク株式会社
主文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人らに対し各金一、〇三一万七、七二七円および右各金員に対する昭和四九年五月一三日から各完済まで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「控訴棄却」の判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠の関係は、左記のほかは、すべて原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(但し、原判決二枚目表八行目「八一八番」とあるのは「八一番」と訂正し、同五枚目表五行目「第四号証」の下に「(但し写)」と同一一行目末尾に「(第四号証は原本の存在と成立を認める)」と各附加する)。
一 控訴人らの主張
1 本件事故と亡博の自殺との相当因果関係については、単に亡博が受けた身体的傷害の程度のみでなく、加害者である被控訴人側の不誠実な態度およびこれにより亡博が絶望的な状況に追い込まれたという事実をも考慮して判断すべきである。即ち、被控訴人の従業員円谷文夫は入院中の亡博に対し「母親や弟は納得している」旨虚偽の事実を告げ、亡博に不利な示談書(甲第七号証)に無理矢理署名させ、亡博をして絶望的な気持にさせその結果亡博は自殺するに至つたのであるから、本件事故と亡博の自殺とは相当因果関係がある。
2 仮に本件事故と亡博の自殺との間に相当因果関係がないとしても、亡博は生前被控訴人に対し本件事故による傷害のための入・通院慰藉料(入院二カ月、通院五カ月として金一一〇万二、〇〇〇円)および後遺症慰藉料(自動車損害賠償保障法施行令別表一二級として一〇四万円)の合計金二一四万二、〇〇〇円の損害賠償請求権を有しており、控訴人らはその各二分の一宛の各金一〇七万一、〇〇〇円の損害賠償請求権を相続しているから、右各金員の支払を求める。
3 なお亡博の後遺症固定時は昭和四九年四月末日である。
二 被控訴人の主張
1 本件事故と亡博の自殺との相当因果関係は争う。
2 亡博は昭和四八年一〇月二一日発生の本件事故によつて受傷し治療を受けていたが、昭和四九年四月一七日症状が固定し治療を打ち切つた。その後遺症の程度は一四級である。従つて亡博の入・通院および後遺症による慰藉料請求権は遅くとも右症状固定時から三年を経過した昭和五二年四月一七日をもつて時効消滅したから、被控訴人は右時効を援用する。
三 証拠〔略〕
理由
一 昭和四八年一〇月二一日本件事故が発生し亡博が傷害(但しその内容、程度は除く)を負つたこと、控訴人らが亡博の両親であり、被控訴人が本件事故車の運行供用者であることは、いずれも当事者間に争いがない。
二 本件事故と亡博の自殺との相当因果関係について
1 成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第一〇号証、乙第三号証の各記載によれば、亡博は本件事故によつて頭部打撲、顔面挫創、眼筋麻痺、血胸、右第二ないし第七肋骨々折、第七頸推左横突起骨折、腰部挫傷の傷害を受け、昭和四八年一〇月二一日から同年一二月二四日まで神奈川県立厚木病院に、その後昭和四九年一月一六日から同年四月一七日まで岩沼市丹野外科医院に入院して治療を受けたが、昭和四九年四月一七日症状固定の診断を受けて退院したこと、右退院時における後遺症の内容は頸部痛、顔面挫創痕(前額および右頬部に約三糎の瘢痕二カ所)、右肋骨部位に変形および眼筋麻痺による複視のあつたことが認められる。なお右後遺症が自動車損害賠償保障法施行令別表の何級に該当するものかの点についてはこれを明確に認定し得る証拠はないが、前記後遺症の内容および弁論の全趣旨からみて一二級を超えない程度のものであつたことは明らかである。
2 次に原審証人相原攻の証言によつて成立を認める甲第二号証の記載と右証言ならびに原審および当審における控訴人相原さかし尋問の結果を綜合すれば、亡博は三七歳の独身で中学卒業後各地を転職し昭和四八年一〇月二一日の本件事故当時は厚木市の自動車部品会社で機械工(期間工)をしており、事故受傷によつて右会社を退職し、前記岩沼市の丹野外科医院を昭和四九年四月一七日に退院した後は、仙台市に出て同年五月頃から建設会社に勤務し釘打ちなどの仕事をしていたが、本件事故による後遺症、特に目が悪く思うように働けなくなつたことを苦にして同年同月一二日に自殺したことが認められる。
3 なお原審証人円谷文夫の証言によつて成立を認める甲第七号証の記載と右証言ならびに前記相原攻の証言、控訴人相原さかし尋問の結果を綜合すれば、被控訴人会社の座間営業所長であつた円谷文夫は本件事故処理の担当者として、亡博の母さかし、弟攻ならびに亡博の担当保護司であつた磯谷某と話し合いの後、昭和四八年一二月二一日、当時厚木病院に入院中の亡博との間で甲第七号証の示談書を作成したこと、右示談の内容は単に本件事故による損害については亡博の側で自賠保険に対し被害者請求をなすというものであつたこと、然し亡博は後になつて右示談について不満をもらしていたことが認められる。
4 以上1ないし3に認定の事実を基に本件事故と亡博の自殺との間に相当因果関係が認められるか否かを検討すると、亡博は本件事故による後遺症を苦にして自殺したという意味で両者間に条件関係の存することは認め得ても、自殺は事故によつて通常生ずる結果ではないし、また前記程度の後遺症を苦にし或いは示談内容に不満をもつて自殺するなどとはとうてい通常人の予見し得るところではなく、更に被控訴人において特に亡博の自殺を予見し、または予見し得べき状況にあつたと認むべき証拠はないから、本件事故と亡博の自殺との間に相当因果関係があるとは認め難い。
三 亡博の入・通院および後遺症慰藉料請求権について
前記二の1のとおり、亡博は昭和四九年四月一七日丹野外科医院を退院しその症状は固定していたものと認められるから、亡博が生前被控訴人に対し控訴人ら主張の如き慰藉料請求権を有していたとしても、それは昭和四九年四月一七日から三年を経過した昭和五二年四月一七日の満了をもつて時効消滅したことになる。(なお控訴人らが本件訴訟を提起した日が昭和五二年五月一二日であることは記録上明らかであるから、亡博の症状固定時が控訴人ら主張の如く同年四月末日であつたとしても時効消滅の結論に変りはない。)
四 以上のとおりで、亡博の自殺死亡を理由とする逸失利益および慰藉料請求の点は本件事故との相当因果関係を認め難く、また亡博の入・通院および後遺症を理由とする慰藉料請求の点は消滅時効が完成し被控訴人がこれを援用しているから、控訴人らの本件請求は、その余の点(被控訴人主張の自賠法三条但し書の抗弁)について判断するまでもなく、すべて失当として棄却すべきものである。
よつて右と結論において一致する原判決は相当であり、本件各控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小木曽競 伊藤豊治 井野場秀臣)